愛おしき日々

虚無の日々を過ごしています。

意味

時間を持て余している。暇があるなら、在宅の仕事でもすればいいのに、面倒くさくて募集する手が戸惑われる。どうせまた長続きしないだろうしな…。自宅で仕事をするのが壊滅的に向いてないのだ、自分は。基本的に人がいないと動けないから…。一人でいると無限に怠けてしまう。人に怒られたくないからという理由でしか行動を起こせないのだ。ダメな人間なのだ。

働きたくなくて酒を飲む。

今度年金の免除を申し込みにいかなくては。いつか生活保護の申請を申し込みにいく日もくるのだろう。頼むから少なくとも私が死ぬまでは生活保護制度続いてくれよ。

 

昨日は一日中機動戦士ガンダム00を見ていた。中学生の時何話かリアルタイムで見ていたのだが、最近ふと思い出して改めてすべて見ることにした。とても面白かった。何度も危機に陥り、もうダメかと思った瞬間に突如希望の光が差し込む。簡単に言えばその繰り返しなのだが、胸の高鳴りは抑えられない。ギリギリまで追いつめられ摩耗する精神と、それでもなお希望を捨てきれず信じる心。中盤あたりまでは信じる心が報われる。危機は間一髪で回避されるのだ。しかし終盤はそうとはいかない場面が増える。仲間が死に、ガンダムは壊滅状態となる。不安定な期待値を最大限にまで高め、そして一気に堕とす。絶望を感じないではいられない。やりきれない思いと、それでもまだ捨てきれない希望が残るため、視聴者は続編を強く希望する。私も例に漏れずで、早く2期が見たい。早いうちにまたツタヤに行こうと思う。

絶望を叩きつけといて希望を捨てきれないような演出は、人生みたいだなと思った。なんど死にたいと思っても結局希望を捨てきれない。生きていたいから希望を信じてしまう。希望に実態なんてなく、私の希望は誰かの絶望であるかもしれないのに、捨てきれない。生きていることに価値はないのに(価値はどこまでも主観的で後付けしかできない)、生きていたいと強く思う。私には、死んだら後を追おうと思っている人がいる。でも、実際のところはわからない。その人が死んでも、私は怖くて死ねないかもしれない。自殺は怖い。私には飛び降りる勇気も首を吊る勇気も溺れる勇気も何もない。人は簡単に死ぬのに、どうして自分は生きているのだろうか。まあ、10年も60年も大した違いはないのかもしれないけれど。だったらなぜ死ぬのは怖いのだろうか。いや、むしろ死ぬのが怖いのに、なぜ死にたいと思うのだろうか。特に悲しいことも苦しいこともないのに。生まれた以上生きなければいけないのに。そしてどんな形でも生き延びられればいいはずなのに。

人は意味がないと生きていられないのかもしれない。みんな生きている意味を求めているのだろう。宗教というのはまさに、生きる意味を与えるものだ。神が人間に生きる意味を与え、人間はそれを信じる。宗教戦争イデオロギー戦争というのは、人々は生きる意味を強く感じるための機能があるのだろう。神のために、勝利のために、国のため、誰かの仇を取るために。それらは戦争をする理由であり、同時に生きるための理由でもある。

では現代日本の神はどこにいるのか。私はそれは社会だと思う。人は社会の一員として社会に貢献することを生きる意味としている。その社会とは国という場合もあるし、会社や家族や友人グループなどなどだ。宗教も社会の一部だとも言える。宗教は団体を作る。その団体は社会を形成するからだ。だから、人間はみな社会のために生き、社会に求められたいと思っている。

まあつまり気分よく生きていきたいのならば、自分が求められ、そのために生きたいと自然に思える社会に属していればいいのだ。

まあつまりは、達成感だよね。何かのためになったという達成感を(例え形式だけのものであったとしても)得ていなければ、人はすぐに絶望してしまう。

まじで意味わかんない生き物だよなー。意味がなければ生きていけないなんてさ。