愛おしき日々

虚無の日々を過ごしています。

生き延びる

人生における目標とはなんだろう。人間は何をなすべきだと考えられているのだろうか。

そんなことをぼんやりと考えていた。

 

人間も生命体なので、人生の究極の目標とは「生き延びること」だと思う。生まれてきたので、死ぬまで生きる。それが最大の目標だろう。

生まれて死ぬまで、みんな色々なことをするけど、ほとんどのことは自分が死ぬまで生き延びるためにやっていると思う。

と考えるとだ、私も「生き延びる」を目標にやっていけばいいわけだ。付け加えるとするならば、「なるべく良く生きる」。

 

善悪の基準も、「生き延びる」ということを指針に決まっている気がする。つまり、人間が楽に生きられることは善で難しくなるなら悪。しかし、人間にも様々な立場の人がいるので、「誰が」楽に生きられるのか否か、ということが重要になってくる。

私は善悪に絶対的な基準はないと思う。

そもそも、人間って結局自分のことしか考えてない。善って、ざっくり言うと「他人を思いやる言動」だと思うんだけど、それが推奨されるってことは、つまりみんな他人から優しくされたいってことなんだよね。そりゃ当たり前で、なぜなら人生の目標は「自分が生き延びる」ことだから。他者から優しくされたほうが楽に生き延びられる。

優しい人のほうが損をするってたまに言うけど、それは多分優しさにも種類があるからだと思う。自己犠牲の優しさはそりゃ間違いなく損をするもん。優しさを自分の生存戦略のために使える人は得をする。自分を大事にできる人、見返りを求めて行動できる人は得をする。一見冷たく聞こえるかもしれないけど、でもそれは全然冷たくないし超健全。自分のために他人に優しくできる人がこの社会では一番強いと思う。

 

話変わって、争いについて。

争いが起きる原因って、大きく言って「利害の不一致」と「価値観の不一致」に収束されると思う。

だからもう争いが絶えないのはしょうがないんじゃないか?だって、みんな異なる環境で過ごしているのだから、利害や価値観が違うのは当たり前だろう。

特に価値観。何が良いのか悪いのかが全部全人類共通だったら争いは起こらない。人間は皆、好きなもの以外には無関心でいるべき。

でも、それはいかがなものかって批判する人は絶えない。なぜなら、人が人に無関心になりすぎると社会がなりたたなくなり、人間は非常にピンチな状態になるからだ。

年寄りがセクハラ・パワハラをやめられないのは社会を保とうと必死だからだと思う。

人間が社会を形成して生きていく限り争いはなくならないんじゃないかなあ。なんか人類共通の巨大な敵でも現れたら人間同士の争いは多少静まるかもしれない。