愛おしき日々

虚無の日々を過ごしています。

老いることは権威

老人は権威を持っていると思う。

自分メンヘラお姫様な祖母と愚かな奴隷の祖父と共に長い期間を過ごしてきた。

祖母の権力はすさまじいものがあったし、家族はみな祖母の顔色を見てご機嫌をとったり、おとなしくしたり、強烈に反発したりした。

どのような反応も、祖母への、つまり権力への必至の対処法であった。

 

私はただひたすら息をひそめていた。

自分はどこでもそうだ。学校でも、家庭でも。息をひそめおとなしくやりすごすことで、その場の平穏を守ろうとしていた。

愚かなことだ。そのような愚かで無知で臆病な奴隷、おとなしい羊たちがその場の深刻さをより一層深めているというのに。

私はずっとなにもかもから目をそらし続け、臭いものに蓋をし、自分の小さな自尊心を守ることに必死だった。

 

祖母のこともなるべく無視した。おとなしくして、怒らせないようになるべく気配を消して生活していた。

でも、やっぱり私は祖母を無視したくなかったし、祖母にきちんと自分を見てもらいたかったのだろうと思う。

祖母に会うと、彼女があまりにも自分を見ていなくて驚く。彼女の前では、私はただの孫Aである。おとなしくていい子の孫。おばあちゃんのいうことを聞く素直な孫。そういうフィルターをかけられ、そういう風にしか見られていない。

素直でいい子の孫しか必要ではなく、私個人に関しては何も見ていないし何も必要ではないのだろう。

 

本当に絶望的な気持ちになる。

まあ、私個人をかたくなに見せようとしなかった私自身にも問題があるのだろうが、それを言ったら私個人を見せたくないと思わせた祖母がそもそも悪い。

 

最近はやっとこの絶望感にも自覚的になってきて、同時にやっぱり自分は愛したいし愛されたいのだと思うようになってきた。

祖母のことを憎みたくないし、祖母にはかわいがられたい。孫というカテゴリではなく個人の私として。

それはでも結局、権威に庇護されたいかわいがられたいという気持ちを多分に含んでいる。

早く老人になって楽に権威が欲しいし、老人にかわいがられることでぬるま湯につかるような安心感がほしい。

 

でも実際は例えかわいがられたところでそんな安心感はクソだと私は思ってしまうのだろう。見下しやがってと思ってしまうのだろう。

老人に対して必要以上に委縮してしまうし、老人には見下されているかのように感じてしまう。

難儀だ。