結局のところ自分は何がしたいのだろうか。
目の前には虚無ばかりが広がっている。
人生に生きる価値などないのだと思っていないと、怖くてもう一歩も踏み出せない。
だって自分の人生に、自分の選択の先が正しいとも価値があるとも思えない。いつだって私は正しい選択を追い求めているけれど、そんなのはどこにもなくて、ただただ幻想の「正しさ」の重圧に押しつぶされそうになっている。
いつか死ぬって思っていないとこの肉体と精神で人生をやっていくのはキツイ。
終わりがあるっていうことに安心を感じる。全部いつかなくなるんだと思ってなきゃ、やってられない。自分の行動や思考は残るには恥ずかしすぎる。
みんな誰かを傷つけるし、犯罪はなくならないし、誰かより優位に立とうとする欲望は消えないし、同じように劣等感も消えない。
そんなこと自明でしょうに、なんでみんな目を逸らすのか。
人間はそういうものだから、問題が起きるのはもうしょうがないんだよ。人間のシステムはバグだらけだって自覚しよう。
だから、起こってしまった後のことを考えるほうが建設的だし、被害は最小限にとどまるんじゃないのかなあ。
傷つけないようにするなんて無理なんだから、傷つけてしまったら潔く誠心誠意謝るという覚悟をいつももっておくことが重要ってことです。
それから、自分のこと甘やかせない人って不思議。自分のことを褒めてくれる人も、甘やかしてくれる人も、認めてくれる人も、理解してくれる人も、結局究極のところ自分しかいないでしょう。ちがう?
私は、他人が褒めてくれるほど出来た人間じゃない。
自分のこと自分で甘やかせない人って、きちんと他人から褒められている人なんじゃないかなと思う。
きちんと褒められて、甘やかされて育った人でしょう、あなた。
だから自分で自分を褒めることに抵抗があるんですよ。自分自身の評価ってほんとは価値ないもんね。他人に褒められてこそなんですよ、結局。あなたはそれをちゃんとわかっている。
私はいつまでも目を逸らしたまま。
だって、私のこと褒めてくれる人なんていないもん。
自分で褒めて、自分で立って、ごまかしながら進むしかないでしょう。
あーあ早く死にたいなあ