愛おしき日々

虚無の日々を過ごしています。

性行為快楽

前にも書いたが、私にはセックスもする同性の友達がいて、その子を仮にAさんとする。

それから、今私のことを好きだって言ってくれているBさん。

2人の何が違うって、私に対する思いの強さが全然違う。

 

Bさんの思いは誠実だし、重たい。私の何もかもを肯定し、かわいがり、思いやってくれる。それは素直に嬉しいし、実際まんざらでもないのだが、何というか、うさんくさいのだ。

Bさんが嘘を言っているわけではないのだろうが、どうも信じこめない。

私なんかをこんなに好きになるなんて信じられないし、あなた、趣味悪いね…って感じなのだ。

Bさんが私を好きである限り、私のBさんへの不信感が拭われることは、恐らくないだろう。

 

その点Aさんは良い。私のことが特別好きなわけではないのだろう、ということがはっきりわかる。この関係は単純に利害の一致と、純粋に快楽の追求のためといった感じでサッパリとしている。

セックス一つであんなに爆笑できるのはAさんとだけだ。

 

いくらアホみたいにエロいセックスをしても、Aさんが私を恋愛的な意味で好きになることは絶対にない。私もない。

その事実は本当に私を安心させてくれる。

私は自分を好きにならない人の方が安心できるし、信頼できるのだ。だからAさんと、なんのためらいもなくセックスができる。

 

Bさんとは絶対にできないだろう…。いや、別にセックスしてもいいのだが、Bさんはきっと「セックスをする=恋愛的に好き」だと思っているだろうから(実際、ほとんどの人がそうだろう)余計な勘違いはさせたくないのだ。

私はあなたのこと好きなわけじゃないよ、と言ったところで聞く耳は持ってもらえないに違いない。

 

私はむしろ恋愛的に好きな相手とはセックスできない。

緊張するし、恥ずかしいし。

本当に好きな人に、恥ずかしい顔や、グズグズでみっともない性器や、汚い身体を見せたくない。

 

だから、それを晒け出せるというのは、安心しても大丈夫だと判断したどうでもいい人か、性癖を理解してくれる友人か、ということになるのだ。

Aさんは後者で、Bさんはもしセックスするとしたら前者としてだろう。

 

これを書いて、つくづく自分は自己肯定感が低いな…と呆れた。

かなり自己愛は強いし、自己中心的ではあるのだけれど、それに加えて自己肯定感が低いとは、典型的なめんどくさい社会不適合者である。