愛おしき日々

虚無の日々を過ごしています。

少女の官能性

映画「エコール」を見た。

この映画は、端的に言うと、少女が森で集団生活する様を撮ったものだ。

 

少女だけが森で暮らすというシチュエーションはもう「これこれ!」って感じだし、本当にとにかく画面が美しい。毎カット毎カット、ひたすら少女が美しい。この監督は少女を最高に美しく撮る天才だな。


何が素晴らしいってまず服。スカートは短いが、はしたないという印象を抱くほどではない、絶妙な長さ。
色は全て白。シャツも上着もスカートも靴下も全て白。靴だけ茶色。
白は言うまでもなく、少女の純真無垢さを表し、強調する。少女に一番似合う色だ。

肌は滑らかで、みずみずしい。ふっくらとしたお腹も愛らしい。みんな長く伸ばした髪をきれいに結わえてリボンで飾っている。
またもや言うまでも無く、リボンは少女の愛らしさをより際立たせるために存在している。色が年齢毎に違うのも素晴らしい。

そんな少女たちが、少女たちだけで森に暮らしている。その姿はまるで妖精のように、無垢で妖しく、神秘性をまとっている。

 

触りたい。その滑らかな肌を、さらさらとした輝く髪を、惜しげもなくさらされた細い脚を、優しく撫でたい。

そんなよろしくない感情がゆっくりと湧き上がってくる。

柔らかな草の上に寝そべらせ、その肌をさらに暴きたい。小さな胸のその先の桃色に触れたい。
スカートの中に進入し、肉の花弁の内側にまで指を差込たい。

己の、煮えるような熱い欲望を少女の温かさと柔らかさで包み込みんでほしい。

そんなふしだらなことを考えてしまうくらい、少女の姿は官能的でもあった。

 

しかし、その官能性には肉々しさが薄いように感じた。
世俗的でない妖しさがあるように感じたのだ。

それは、いかがわしさとは無縁な清潔な純真さと、何もかもを見透かされているかのような不気味な恐ろしさ。少女の身体にはそれらが同時に存在しているようだった。

触りたいと何より願うのに、同時に恐ろしくて仕方ない。非常に蠱惑的だ。
その恐ろしさは、人ならざるものを不気味に思いながらも畏敬し、魅かれる気持ちに似ている。

 

また、恐ろしさには別の理由も感じられた。

少女のこの美しさは触れられた瞬間、地に落ちてしまうような気がしたのである。
それはおそらく事実で、少女は性の対象として扱われた瞬間に女になる。
少女の官能性の魅力は、性のために存在しているわけではないという、その無意味さにおいてであろう。
無意味なものはすべからく、この世界から解放された存在で、宙にふわふわ浮かんでいる。無駄なもの、無意味なものは愛すべきものであり、美しい。

しかし、その魅力は他者の視線によって壊される。少女が性の対象として扱われた瞬間に、少女の官能性は意味を持ち、世界にとらわれてしまう。もはやあの、夢見るような美しさと、それゆえに燃え滾る熱い気持ちは存在し得なくなってしまうのだ。

 

だからこそ、我々は画面の向こうに存在していなければならない。この視線は届いてはならない。
はっきりと分断されているからこそ、我々の焦がれる気持ちと少女の美しさは永遠に保たれるのだ。