愛おしき日々

虚無の日々を過ごしています。

疲労

一昨日と昨日、バイトに行った。もう本当に労働はこりごりだ。まったくもって疲れ切ってしまった。

なんでみんな週に5日8時間も働けているのだろうか。体力的にもそうだし、精神的にもきつくないか?私は好きなだけぼんやりしたいし、好きなことを考えていたい。つまらない仕事のことに労力を割きたくない。みんなは好きでやっているのか?これを?

まあでも働きたい気持ちも多少はわかる。うまくやれば肯定感と承認欲求と自尊心が満たされる。

でもさあ、もうキツイ仕事なんて機械に任せて、みんなで昼寝してすごそうよ。疲れた.

 

今日は子連れの家族に会った。子どもは小さくてちょろちょろすばしこく動き回るから、お母さんは大変そうだった。なにせ目を離した瞬間にいつ何が起こるかわからない。ごはんを食べるのも一苦労だ。なのにお父さんは何もしない。悠長にカレー食ってる。子ども二人もいるんだからせめて一人の世話くらいすればいいのに。お父さんがのんびりした口調なのに対してお母さんは少しきつめの口調なのも気になった。もともとの性格なのかもしれないが、きっと日常的に子どもの世話をするのはお母さんだけなのだろう。子どもに対して真剣になればなるほど、親は切羽詰まった顔をしていると思う。当然だ。次の瞬間には消えるかもしれない命を守り育て、その人生の責任を負っているのだから。命を背負っているのだからピリピリしているのも仕方がない。でも、だから私は母親というものが怖い。子どもも怖い。私は自分の人生にすら責任を持ち切れないのに、母親は子どもの人生を背負っている。子どもは無邪気だ。家族を見ていると悲しくなってくる。

バイト

昨日、一昨日は本当に気分が沈んでいた。誰とも話したくないし、ずっと寝ていたいような気持ちだったので、ほぼ誰とも話さず横たわっていた。

多分、応募していたバイトがキャンセルになったせいだと思う。私は日雇いでバイトに出かける生活をしているのだが、これが結構不安定できつい。

自由にシフトを組めるのは大変ありがたいのだが、前日になっても仕事が決まらないということもざらにある。

私は基本的にはなるべく働きたくないのだが、それでも断られるというのは精神的にキツイ。私の精神は非常に矮小なので、働かないでいると心苦しい感じがしてくるのだ。また、頑張っていないと見下されているような気持ちになる。私はプライドが高いから、何もせずぼんやりしていると皆に軽蔑されるのではないかと思う。軽蔑しているのなんて、本当は自分だけなのにね。クズでもなんでも胸を張って入ればいいのだ。堂々としていればいいだけのことなのに、惨めな気持ちになってしまう。

まあ後、普通にお金がないというのもある。お金がないと心の余裕までなくなってしまうものなのだ、卑小な人間というものは。お金に頓着せず暮らしたいものだけど、ひもじい思いはしたくない。空腹を我慢するのは苦手だから。

だが、明日と明後日の仕事はすでに決まっている。だから比較的気持ちも明るい。まったく現金なものだ。仕事も週に一日二日くらいだったらいい気晴らしって感じで最高なんだけどなあ。

悲しい気持ちの日々が続いている。

人は死んだらもう二度と会えない。壊れたものは元には戻らない。そんな当たり前のことを未だにうまく呑み込めずにいる。

無くなるということはどういうことなのだろうか。この世のどこを探しても、もう会えないということは一体どういうことなのだろうか。

私はどこかで捨てても、壊しても、また戻ると思っているのかもしれない。戻るものなんて何一つないのに。

時々父に会いたいなと思うことがある。父はもう10年以上前に亡くなった。だから、会いたいなと思っても、はたして父に会うというのがどういうことなのか想像できない。父がいるというのはどういう感覚なのだろうか。それが無性に寂しく感じる。父は確かにいたはずなのに、もはやいないことが当たり前なのだ。当たり前なのに、どうしてこんなに上手く呑み込めないのだろう。

人は急に死んで、もう二度と会えなくなる。

生きていくのはどうしようもなく無駄で、意味などないし苦しさと虚無ばかりだけど、でも誰にも死んでほしくない。苦しみながらでも生きてほしい。傲慢だ。まあ自分も結局簡単には死ねないだろうからいいか。

私は美しく死んでしまう人より苦しみと寂しさを抱えて生き続けるしぶとい人が好きだ。生き汚い人が好きだ。危ういバランスで立っている癖に殺しても死なないような頑丈な人が好きだ。誰にも死んでほしくないし、自分も死にたくないからかもしれない。

意味

時間を持て余している。暇があるなら、在宅の仕事でもすればいいのに、面倒くさくて募集する手が戸惑われる。どうせまた長続きしないだろうしな…。自宅で仕事をするのが壊滅的に向いてないのだ、自分は。基本的に人がいないと動けないから…。一人でいると無限に怠けてしまう。人に怒られたくないからという理由でしか行動を起こせないのだ。ダメな人間なのだ。

働きたくなくて酒を飲む。

今度年金の免除を申し込みにいかなくては。いつか生活保護の申請を申し込みにいく日もくるのだろう。頼むから少なくとも私が死ぬまでは生活保護制度続いてくれよ。

 

昨日は一日中機動戦士ガンダム00を見ていた。中学生の時何話かリアルタイムで見ていたのだが、最近ふと思い出して改めてすべて見ることにした。とても面白かった。何度も危機に陥り、もうダメかと思った瞬間に突如希望の光が差し込む。簡単に言えばその繰り返しなのだが、胸の高鳴りは抑えられない。ギリギリまで追いつめられ摩耗する精神と、それでもなお希望を捨てきれず信じる心。中盤あたりまでは信じる心が報われる。危機は間一髪で回避されるのだ。しかし終盤はそうとはいかない場面が増える。仲間が死に、ガンダムは壊滅状態となる。不安定な期待値を最大限にまで高め、そして一気に堕とす。絶望を感じないではいられない。やりきれない思いと、それでもまだ捨てきれない希望が残るため、視聴者は続編を強く希望する。私も例に漏れずで、早く2期が見たい。早いうちにまたツタヤに行こうと思う。

絶望を叩きつけといて希望を捨てきれないような演出は、人生みたいだなと思った。なんど死にたいと思っても結局希望を捨てきれない。生きていたいから希望を信じてしまう。希望に実態なんてなく、私の希望は誰かの絶望であるかもしれないのに、捨てきれない。生きていることに価値はないのに(価値はどこまでも主観的で後付けしかできない)、生きていたいと強く思う。私には、死んだら後を追おうと思っている人がいる。でも、実際のところはわからない。その人が死んでも、私は怖くて死ねないかもしれない。自殺は怖い。私には飛び降りる勇気も首を吊る勇気も溺れる勇気も何もない。人は簡単に死ぬのに、どうして自分は生きているのだろうか。まあ、10年も60年も大した違いはないのかもしれないけれど。だったらなぜ死ぬのは怖いのだろうか。いや、むしろ死ぬのが怖いのに、なぜ死にたいと思うのだろうか。特に悲しいことも苦しいこともないのに。生まれた以上生きなければいけないのに。そしてどんな形でも生き延びられればいいはずなのに。

人は意味がないと生きていられないのかもしれない。みんな生きている意味を求めているのだろう。宗教というのはまさに、生きる意味を与えるものだ。神が人間に生きる意味を与え、人間はそれを信じる。宗教戦争イデオロギー戦争というのは、人々は生きる意味を強く感じるための機能があるのだろう。神のために、勝利のために、国のため、誰かの仇を取るために。それらは戦争をする理由であり、同時に生きるための理由でもある。

では現代日本の神はどこにいるのか。私はそれは社会だと思う。人は社会の一員として社会に貢献することを生きる意味としている。その社会とは国という場合もあるし、会社や家族や友人グループなどなどだ。宗教も社会の一部だとも言える。宗教は団体を作る。その団体は社会を形成するからだ。だから、人間はみな社会のために生き、社会に求められたいと思っている。

まあつまり気分よく生きていきたいのならば、自分が求められ、そのために生きたいと自然に思える社会に属していればいいのだ。

まあつまりは、達成感だよね。何かのためになったという達成感を(例え形式だけのものであったとしても)得ていなければ、人はすぐに絶望してしまう。

まじで意味わかんない生き物だよなー。意味がなければ生きていけないなんてさ。

 

誕生日会というのは、やり過ごすものだった。じっと大人しく、時間が経つのを待つ日だった。それは自分の誕生日も家族の誕生日も変わりない。楽しいことも嬉しいこともない。お寿司が食べられるのは少し嬉しかった。でも本当はお母さんの作ったグラタンが食べたかった。

そんなこと今更思っても無駄だし、それに、本当にお母さんの作ったグラタンが出たとしても、それはそれで自分は文句を言っていたかもしれない。

自分は薄情な奴だからどんな過去を過ごしても、結局今と同じような感受性に育っていただろう。悲しい。

はあ、今思ったけど、多分自分は責任を負うのが嫌なだけだ。積極的に祝ったことがないという経験の薄さもあるのかもしれないが、何をしたらいいのかわからない。下手なことはしたくない。スーパーのお寿司とお惣菜を買ってきて、お皿に並べて、ビールを出して、ケーキを買って、それでいいのか?どうなんだろう…自分は実家を思い出して嫌だな…でも他には?どうしたらいいんだ?私は料理が下手だし…自信がないし、私の手料理なんて食べたくないんじゃないだろうか。

スカート

昔から(具体的に言うと小学3年生くらいの時から)、ピンクとかスカートとかがあまり好きじゃなかった。小学校の卒業式はブラウンチェックのプリーツスカートとネクタイをしたことを覚えている。式典時のスカートに抵抗するほどじゃなかったけどリボンは嫌だった。

小学校高学年の時はなぜか、スカートダサいよなみたいな雰囲気が蔓延していて、周りの女の子たちもズボンばかり履いていたから自分も雰囲気に流されていただけで、別に嫌いだったわけじゃないのかもしれないけど。しかし、そんな空気をものともせず、当時一番仲の良かった友人は、毎日スカートを履いていてかっこいいなと思ったことを覚えている。

中学は制服だったので毎日スカートを履いていた。土日も部活があったからマジで毎日スカートを履いていた。3年生にもなると、ウエスト部分を折り曲げてそれなりに短くしたりしていた。でも私服でスカートは持っていなかったし、ピンクは相変わらず好きじゃなかった。というか興味なかった。

高校は私服だったから苦労した。毎日服を選ぶのが面倒だったから途中でなんちゃって制服を着た。小学校の卒業式で履いたプリーツスカートと中学の時のワイシャツを引っ張りだし、クリーム色のカーディガンを羽織って登校していた。自分は基本的に黒が好きなんだけど、この時クリーム色のカーディガンを選んだのは多分友達にギャルがいたからだと思う。このギャル、超可愛くて頭良くて運動神経も良いくせに学校に友達がいなくて最高だった。クラス一人気の男子と付き合って即ふったらクラス中の女子から嫌われたらしい。おもしろすぎる。文化祭の時なんて、二人で図書館でだらだらしゃべっていたら、急に年上の彼氏が迎えに来たと言い、さっそうと車に乗り込んでどっか行ってしまった。最高。

大学に入ってからは随分女の子らしい服装をするようになった。大学2.3年の時がピークだったと思う。スナックでバイトしていたから、服装もメイクもそれなりに見えるように、それなりに頑張っていたし。ヒールの高い靴でミニスカート履いて髪巻いて学校行ってたこともあるような気がする。幻かもしれないけど。おしゃれというのは練習して実践して褒めてもらえると嬉しいもんだ。生粋のおしゃれ好きは誰も見てなくても、誰にも褒められなくても自分のためにおしゃれを楽しむんだろうけど、自分はそのタイプではない。他人に見られていると意識したり、褒めてもらえないと続けられない。だって自分がおしゃれだろうがダサかろうが、鏡を見ない限り自分ではよくわからないもん。見られる場では、舐められたくないし自信持ちたいから、それなりおしゃれするけどね。

大学卒業後は毎日適当な服を着て薄化粧で髪も黒い。楽だし。

一時期はできるだけユニセックスな恰好でいようとしていた。髪も短くしたりなんかして。その理由はかわいい恰好が自分の内面と合っていないなあと思ったから。内面と外面はできるだけ齟齬がないほうが良いと思った。内面というか「見られたいと思うイメージ像」の方が適切かな。なんか、女の子じゃなくて人間として見られたかった。人間の基本タイプは男で女は亜種だという思想は古今東西根強く残っていると思うが、まあそういうことだ。スナックバイト生活で私は、女には女の役割があるのだとわかってしまった。なんかあんまり具体的に思いつかないけど。そういうの期待されるのやだなーと思って、髪切ってミニスカートは履かないようにした。効果があるかないかは関係ない。自分の心が落ち着くかどうかだ。

今までの人生でも何度も、女なのやだなーと思ってきた。なんかあんまりしっくりこないなー、みたいな。でもだからといって男になりたいわけでもないんだよなー。昔から、中性性みたいなものへの憧れがちょっとあって、両性具有や両性具無、アンドロギュノスなどに興味があった。

いっそ男になりたいと思っているのならわかりやすいのになあと結構思った。でも男になりたいわけではないのだ。どちらかを選ばなければならないとしたら、生まれ変わっても女が良い。

カルテ

何となく体がだるくて憂鬱で何もできないような気持ちになっている。

やるべきことはなんだっけ?人生においてやるべきことなんてあったっけ?どうせ死ぬし何もしなくてもいいんじゃないのか?

こんな考え方は幼稚だな、と思いつついつまでも捨てきれずにいる。

 

昨日、「17歳のカルテ」という映画を見た。好きな作家の桜庭一樹がおすすめしていたから、ずっと気になっていたのだけれど、邦題がダサくて少し気乗りしていなかった。でもついに昨日見た。図書館で借りて。無料だし、せっかくだし。

結果、すごくよかった。

精神を患った少女たちが悩んだり喧嘩したり友情を深めたり大人を怒らせたり自殺したりする話。

「みんな背中を押してもらうのを待っている」というセリフに「ああ」と思った。そうだね。みんな死にたくて、でもきっかけがなくて、背中を押してもらいたがっている。

あと、みんな煙草をスパスパ吸いまくるのがおもしろかった。自分も煙草を吸いたくなる。一度、スペインで煙草を吸ったことがあるんだけど、おいしかったなあ。日本で吸う煙草もおいしいけど、土地によって雰囲気が全く違う。おもしろい。